祖母が。

7月1日土曜日午前2時半、母方の山形の祖母が亡くなりました。

脳の血管が切れて、あっという間でした。それまではとても元気だったのに。

血をサラサラにするお薬を飲んでいたため、血管が切れやすくなっていたようです。

それを聞いたのは7月1日朝の8時半。

北海道の母から電話が来たのです。

母もすぐに飛行機で山形へ。

我が家もその日のうちに主人と子供で山形へ車で出発し8時間後の夜9時にセレモニーホールへ到着。

先に到着した母は目が真っ赤でした。

そしてセレモニーホールの一室で、

5年ぶりにおばあちゃんに会いました。

こういう経験は初めてで、寝ているのが大好きなおばあちゃん。

おばあちゃんは安らかで綺麗なお顔をして静かに眠っているように見えました。

おばあちゃんのおでこを撫で、ほっぺをなで、今にも起き上がりそうなお婆ちゃん。

でもとても冷たかったことが、私を現実に引き戻すのです。

5年間会えなかったこと、ひ孫を会わせに来れなかったことをとても後悔し、おばあちゃんに謝りました。

祖父母にとって孫は私や私の兄弟だけ、ひ孫は私の子供だけでした。

子供が生まれてから、2度ほど山形に行きましたが、3歳を最後に、その後祖父母が施設に入ってしまってからは5年間、子供の入園や入学、私の喘息の発症などでなかなか会いに行けませんでした。

私はおばあちゃん子でした。

山形に遊びに行くといつも頭を撫でてくれて、すごいね、えらいね、頑張ってるねと褒めてくれる優しいおばあちゃんでした。

大人になってからも心の奥底ではいつもおばあちゃんの言葉が私を支えてくれていたように思います。

今でも私の頭を撫でてくれたあの大きくて温かい手を思い出します。

おばあちゃん、生きているうちに会えなくてごめんなさい。

後悔してもしきれません。

何度もおばあちゃんの額をなで、おばあちゃんのほっぺを撫でて謝りました。

そして身近なおばあちゃんと言う存在の死を体験し、人が死ぬと言う事はこういうことなんだと痛感しました。

今にも起きそうな顔で寝ているけれども、とても冷たくて何を話しかけても返事がない。こういうことなんだ。

その後、おじいちゃんのいる施設に顔を出しに行きました。

おじいちゃんは私や子供を見るなり、泣いていました。

おばあちゃんと同じ施設にいて、いつも一緒にご飯を食べて一緒に談話して2人一緒だから安心できた、施設でも幸せだった、なのにもうおばあちゃんはいない。

もう二度とおばあちゃんには会えないんだ、そう言って泣いていました。

でも私の子供を見て、手をとって、少し元気になったようです。

ひ孫の力、子供の力はとても強いんです。

5年前会ったときは赤ちゃんだったひ孫がもう小学生。

ひ孫をぎゅっと抱きしめ、無邪気な笑顔を見たおじいちゃんは笑顔になってくれました。

今おじいちゃんは90歳ですがあと10年おばあちゃんの分までひ孫の成長を見なくては、そう思ってくれたようです。

もし、もっと前に山形に遊びに行っていたら、この施設の談話室にはおじいちゃんだけじゃなくておばあちゃんもいたんだなーってそう思うと、とても切なくて後悔と悔しさで私も号泣してしまいました。

人は年齢問わずいつ命をなくしてしまうかわかりません。

だから今この世で生きていることはとても幸せなことなんだと思います。

今周りにいる人を大切にして自分を大切にして、生きていこうと思いました。

我が家は昨日東京に戻ってきましたが、非日常的な生活から普段の日常生活に戻った瞬間、心の中にぽっかり穴が開きました。

おばあちゃんがこの世にはもういないんだと言う虚しさがどんどん広がってきます。

どこを探してもいないのです。

大切な人をなくすとみんな誰しもがこういう思いをするんですよね。

そして残された人も辛いけど、逝ってしまった人はもっと辛いんだろうなと思います。

私自身今は無理に元気になる必要はないと思い、しばらくおばあちゃんの声や、姿を思い出し、おばあちゃんは私の心の中で生きていきます。

皆さんも今いる人を大切に、人生をできるだけ楽しく生きていけるよう、そう願っております。

長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。

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