限界

相手の女性の心というものがその中心にある問題だと、男だけの考えなどというものは限界があるなあ、とつくづく今回は思った。

今回というのは、あの日にCさんがなぜ現れたのかの問題への友達の女性のかたがたからのご意見をうかがったことだ。

伺ったのは直接そのことではなく、「50数年ぶりの同窓会開催を機に、Cさんに手紙をだすことをどう思いますか」だったのだが、その背景として、私がCさんとの18歳以降の7年間の神戸行きデートの年月と多くの手紙を背景に、それを見たらやって来ない事実を自分に突き付けて、それを考えるたびに苦しくなるCさんのことは諦めようとしたあの最後の手紙のことを書いたので、みなさんからのご意見も、「なぜやってきたのか」に、力点が置かれたのだ。

結婚して去ったあとも、結局Cさんは、私が51で結婚するまでの以後の21年間、私の中に棲みつづけた。何とかして消そうと思っても、どうにもならなかった。

その21年間ずっと、私は、そのやってきた理由を、私と会って、それまでの7年間いつもそうしてきたように、本や映画や音楽や最近の日々のことをふつうに話して、私を冷静にさせるためだとばかり思っていた。

そうではなく、それは覚悟を最初からしてやってきたのだとは、今回ここでそのみなさんのご意見を聞くまでは、分からなかった。

Cさんとのそのことを、私は今までの40数年間、誰にも話したことがなかった。

そのためなのかもしれない。

広告を非表示にする